『Mommy/マミー』:ドラン映画が“ファッションアイテム映画”に留まらない理由

mommy
2015.4.25 ヒューマントラストシネマ有楽町

『Mommy/マミー』/グザヴィエ・ドラン/カナダ/2014 ★★★★

「美しき神童」「恐ろしい子」などの呼び声高く、デビュー作『マイ・マザー』(2009)がいきなりカンヌ国際映画祭監督週間に上映されて以来順風満帆の大躍進を遂げているグザヴィエ・ドラン。本作はその5作目にあたり、ゴダールとともにカンヌにて審査員賞をダブル受賞した、いわば“お墨付き”の一作です。Rotten Tomatoesの評価も91%と高いです。今のところ関東では新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、そして復活した恵比寿ガーデンシネマ等で上映されているようですが、これまで全ての作品を劇場で(ほとんど初日に)鑑賞した私の、今回劇場に行ってみての感想は、「混んでる!」「そしてみんなグッズ買ってる!」でした。今までで一番混んでいたし、今までで一番グッズが売れてました。だいたいこの『Mommy』のパンフレット、やたらスタイリッシュな作りだし、1000円てちょっと高いし、出演してないのに表紙が憂いを含んだようなドランの顔(セクシー寄り)だし、中身もドランの写真だらけで、韓流スターかよ!という感じでした(買ったけど)。でも情報量もそれなりに多かったので良いんですが。

【あらすじ】

46歳のダイアン(アンヌ・ドルヴァル)にはADHD(注意欠如・多動性)と診断された15歳になる息子スティーヴ(アントワン=オリヴィエ・ピロン)がいる。彼は施設で問題を起こし、追い出され、再び母子で暮らすことになった。スティーヴは母を深く愛しているが、母へのプレゼントを万引きしてしまうなど行動が突飛で、またふとしたことでスイッチが入ると母に対してさえも暴力的になり、手がつけられない。気丈なダイアンも、これには対処しかねていた。そこへ偶然現れた隣人のカイラ(スザンヌ・クレマン)は、不思議にスティーヴにとって心を許すことのできる相手となった。カイラもまた心に傷を抱えており、三人にとってそれぞれがそれぞれを必要とする関係となっていく。

【感想】

相変わらずMVっぽいし、相変わらずイマドキっぽい。前作『トム・アット・ザ・ファーム』で少し影をひそめたイマドキっぽさは、再び復活。といっても『わたしはロランス』ほどではなく、抑制はある程度効いているし、何より映画そのものがそこに頼りっきりになっていませんでした。ドランは『マイ・マザー』の時からそうですが、(良くも悪くも、でもどちらかというと悪く)イマドキっぽいけど、そこに寄りかかって、いかにもインディーロックとかオシャレとかが好きそうな若い層に支持される(だけのファッションアイテム的映画)、というところに留まらないところが、やっぱり才能なんだな、と思います。

では、一体どんなところがそうさせているのか、考えてみました。おそらく、1.きちんと引き算のされた脚本 2.俳優の演技 の2点だと私は思います。話題の画面サイズとか、音楽の自在な引用とか、そのあたりではないような気がします。そんなのは、本質を左右しているわけではないと思います。もちろん、特に音楽の多用はドラン映画の一つの大きな特徴であるし、節操のない選択に見えてなぜかバラバラの印象を残さないバランス感覚なども凄いと思いますが、それだけではこれほどの躍進を遂げることは難しかったと思います。以下、ネタバレあります。

1.について、ドラン映画は基本的に見た目華やか、どちらかというとカラフルポップな映像で、音楽もドカドカ投入されて、足し算の映画のように見えるのに、脚本では案外引き算もちゃんとされているところが「ファッションアイテム映画」に留まらない理由の一つではないかと思います。
たとえば、この映画においてカイラの心の傷についての直接的な説明はないし、スティーヴのあの衝撃的な行動の後も実にあっさり場面が変わります。カイラが引っ越すことになっても、二人が永遠の友情を誓い合うようなこともありません。むしろ、カイラがそのことを告げたときにはダイアンの顔は映りません。でも寂しくて悲しいに決まっていて、そのあたりを、全部演出と俳優の演技で見せています。特にいつも「母」役の女優は素晴らしい演技で、ドラン映画はそこに随分支えられているな、と思います。(そのぶん『胸騒ぎの恋人』は少し弱かった。)今回は「母」的な役は二人いますが、どちらも本当に素晴らしかったです。アンヌ・ドルヴァルは『マイ・マザー』の時も母でしたが、今作はそれよりも母親目線で作られているため、一層感情を表す演技が多く、とても立体的な母親像になっていたと思います。また『わたしはロランス』でカンヌの“ある視点”最優秀女優賞を獲ったスザンヌ・クレマンは、あのよく舌の回る女性から一転、吃音症の女性を見事に演じていました。カイラ自身の家族の抱えた問題には直接触れられることはありませんでしたが、その葛藤を、ダイアンにそれを聞かれたときの表情や、引っ越すことをダイアンに告げるときの表情だけで十分に表していました。でも、俳優の演技を引き出すのはやっぱり監督なので、俳優たちの素晴らしい演技もグザヴィエ・ドランの才能なのだと言えると思います。

それから面白かったのは、ダイアンとカイラが「箸が転がっても面白い」といった感じで爆笑し合う場面です。ここは二人が心から友人になったのだと感じる温かい場面で、柔らかい音楽が流れてきました。しかしカメラが窓の外に移動すると、物凄い曇天。雷まで鳴り始めました。柔らかい音楽は流れたまま。なんだか異様でしたが、これもドラン流の引き算なのか、または「この幸せは長く続くものではありませんよ」という予告(超・足し算)なのか、どちらもあり得そうで面白かったです。いや、でもドラン映画は意外とやっていることはベタなので、後者なのかもしれません。Wonderwallの使用なんかもそうですが、ベタの使い方もバランスが良いなーと思います。

画面サイズについては、主人公たちが自由を感じている幸福なときに画面が広がるなどの仕掛けは面白かったですが、正直たいして効果的とは思いませんでした。見づらくもなかったけど、特段「新しい!」とか「凄い!」とかは全然思いませんでした。(あの「見えない扉」がラストに呼応しているとしても、です。)音楽についても、まぁいつも通り色んなところから良い曲をひっぱってきていて、それがいかにも現代っ子という感じがしました。必死でディスクガイドを見ながらレコード集めたりCD集めたりしなくても、ネットでなんでも聴くことができて、好奇心さえあればどの国の、どの時代の、どんな音楽でもコレクションすることができる世代ならではのチョイスだと思います。

そして、ここまでグダグダ書きましたが、結局私は『トム・アット・ザ・ファーム』のほうが好きでした。もっといえば、かなり似たところのある『マイ・マザー』も、この映画より好きでした。確かに『マイ・マザー』と比べて、あからさまなMV的映像の装飾なんかも減ったし、うまくなってはいるのですが、あの映画にあった「撮らなくてはいてもたってもいられない」というようなエモーションは感じられませんでした。ラストもちょっと、引っ張ったわりに弱いと感じました。

でも、今後もこの若き神童の作品は見続けていくと思います。次作はジェシカ・チャスティンを主演にハリウッドものを撮るとのこと。これまでと比べてお金もかなりかけてるらしいです。これからどうなっていくのか、楽しみです。

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