『セッション』:音楽映画ではなく、狂人と変人のぶつかり合いの映画

Whiplash

2015.4.18 TOHOシネマズ新宿

『セッション』/デイミアン・チャゼル/アメリカ/2014 ★★★★

かなり久々の更新となりました。最近引っ越して忙しかったのもありますが、同時に体調がかなり悪く、無気力になっていて部屋も全く片付かず、映画館にも行けず・・・という状態が続いておりました。しかしこう寝てばかりでは腐ってしまうと思い、精神的にもきつかったので、一念発起して観に行ったわけです、オープンしたての歌舞伎町TOHOシネマズに、『セッション』を! 

 結果、面白かったです。ラストには驚愕しました。菊池成孔氏と町山智浩氏のこの映画をめぐる論争が話題となっているようですが、どちらの批評もとても興味深く、色々考えるきっかけとなりました。が、幸い私はジャズに疎く、映画も素人なので、そう深刻に捉えることなく楽しめました。これについて少ない脳みそで考えたことは下記2.に少し書きます。 

あらすじを書く元気があまりありませんが、平たく言うと、一流ドラマ―目指して音楽大学で頑張る青年が、学内で一流とされる教師に目をつけられて喜ぶも、その教師の超絶ハラスメント指導によってズタボロにされるが、青年めげずに頑張る。という話です。「青年めげずに頑張る。」は本当はちょっと違いますが。

ここから感想を書きます。ネタバレあります。

 私がこの映画で面白い、新しいと思ったのは、主に

1.フレッチャー先生がマジで嫌な奴だったこと
2.ラストで観客の反応が全く映し出されないこと

の2点です。特に2.がこの映画の肝だと私は思いました。

1.フレッチャー先生がマジで嫌な奴だったことについて 

まず1.について。こういう鬼のような指導をする(けど偉大とされている)人物は、「他人には理解されがたいけれども確固たる(音楽への、また指導への)信念があって、それを貫いているだけであり、本当は心温かい指導者である。」のが定番であって、中盤ぐらいから徐々にそれを裏付けるようなエピソードが出始めて、「先生、僕(たち)誤解してましたっ!」涙、みたいな展開→心が一つになって素晴らしい演奏、終わり というのが通常の流れだと思っていました。実際こういう定番の流れであろうと、私は結構感動してしまったりします。でもこの『セッション』のフレッチャー先生は、よくそこまで思いつくな、というぐらいの罵詈雑言を放っておきながら、ラストの「私をなめるなよ」展開に明らかなように、マジで嫌な奴でした。こんな映画あるんですね!

 

2.ラストで観客の反応が全く映し出されないことについて 

私はこれがこの映画の肝だと思いました。菊池先生と町山先生の論争を読んで色々ぐるぐると廻った考えも、個人的にはここで決着がついたくらい肝だと思いました。

普通は、あれだけの演奏をして、意地悪教師への復讐も叶って、そもそも音楽によってそんないがみ合いお互いどうでもよくなってきて、やっぱり音楽の力は凄いんだ!というような場面で、ラストに観客の拍手喝采が全く入ってこないというのは考えられないと思います。観客の拍手喝采というのは、こういう舞台の場面では音楽(サントラ)以上に観る者の感情を盛り上げてくれるもので、拍手喝采によって涙が出てきたりもします。それなのにこの映画は演奏が終わったら間髪入れずにカット、もう黒い画面にエンドロールです。ここが本当に面白いと思いました。これはつまり、監督は「この二人の演奏がみんなに支持された」という文脈を映画に持ち込んでいない、ということだと思います。つまり、この映画は、この二人の音楽に対する姿勢も、二人の音楽そのものも、肯定しているわけではないということではないでしょうか。 

この映画はジャズを題材にしているので、「音楽映画」でも勿論あるわけですが、決して「音楽を描いた映画」ではないと思います。なぜなら、この映画には音楽への愛も尊敬の念も無いからです。他の音楽映画、たとえば最近では、個人的にはあまり良いと思えなかった『はじまりのうた』(菊池大先生は絶賛してますが)も、個人的にすごく良いと思った『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』も、音楽によって得られる、悲しいのか楽しいのかわからないような、とにかく言葉にできない昂る感情が、前者では野外録音場面の多幸感に、後者ではライブハウスのオーナーの前で一人演奏する場面の暗いながらも柔らかい光に、しっかりと描かれていました。でも、この『セッション』にはそれがありません。しかもフレッチャー先生がドラマー青年たちに求めたのはひたすら速く叩くこと。これが絶対に正しくないのは素人でもわかります(私は中学時代吹奏楽部でパーカッションでしたが、そんなところですらそういう指導はされなかったし、腕や手首が疲れるのは下手な証拠、などと言われました)。むしろ、敢えて「この指導、ちょっと違うよね」と伝えるためにフレッチャー先生をスピード狂として描いたのではないかと思えるほどです。まぁでもこれはハラスメント指導の場面でのことなので、置いておくとして、問題なのは、肝心のラストシーンの演奏です。このラストシーンの演奏にも、私は特に気分が高揚したりはしませんでした。そもそもこういう、ガッツリとビートが入ったジャズ(なの?)があまり好きではないし、ジャズ自体(ビッグバンド含め)に疎いからかな?とも思いましたが、そうではなくて、映画の音楽への愛がないからだな、と思いました。そしてそれはこの映画の欠陥ではなくて、そういう風に作られているのではないかと思いました。思えば主人公以外のメンバーのエピソードは皆無だし、それゆえ演奏中にメンバーたちの顔が映っても何とも思えません。それに、演奏者(指揮者も)のその曲への思い入れもよくわからないし、なんというか、演奏する人物たちの音楽への思い入れがよくわからないのです。主人公の思い入れは、音楽が大好きだ!というよりは、ドラムでみんなを見返してやるんだ!のほうに近いので、やっぱり音楽愛はよくわかりません。 ただ、このラストは、散々な目に遭ってきた主人公が教師をやり込めるわけなので、とてもスッキリします。やったね!という気分になります。

この映画は、「音楽を通して最終的に理解し合った師弟の物語」ではないのだと思います。題材はたまたま監督の実体験ということで音楽でしたが、他の何にでも置き換えることのできる作りなのだと思います。勿論、現代のジャズ教育について物申す、という要素もあるのでしょうが、それがあるとしても、やっぱり「音楽を描いた映画」というのとは決定的に違うのだと思います。

だから、「音楽映画」を期待して観に行くと(特にジャズに詳しい人などは)がっかりするかもしれませんが、「狂人と変人のぶつかり合いの映画」を期待して観に行くと、結構満たされます。むしろ、上に挙げた2点において、「なんて新しく面白いんだ!」と思うことができると思います。

 まぁでも、せっかく音楽を題材にしたんだから、やっぱり音楽愛があったらもっと良かったとは思います(結局何言ってやがる、と言われてしまいそうですが)。なので★4つです。

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