『幕が上がる』:アイドル映画だけど、アイドル映画じゃなかった!

makuga_agaru

2015.2.28 新宿バルト9

『幕が上がる』/本広克行/日本/2015 ★★★☆

脚本が喜安浩平(『桐島、部活やめるってよ』)、原作が平田オリザ(平田オリザ)だというので、単なるアイドル映画に収まることはないだろうと思ってはいました。予想としては、ドキュメンタリーっぽい作り方がされているとか、ストーリーの展開が淡々としているとか、そんな感じのものをなんとなく思い浮かべていました。が、実際に観てみると、そういうものとはちょっと違いました。しっかり“アイドル映画”してたし、ストーリー展開のメリハリもはっきりしていて、しかも泣けました。だけど、“ただのアイドル映画”ではなかった。感想はネタバレ無しです。

【あらすじ】
静岡県に住む高校3年生のさおり(百田夏菜子)は、なんとなく流れで演劇部の部長になってしまった。大会に出場はするもののいつも参加賞の弱小演劇部だったが、新任の吉岡先生(黒木華)が指導に参加してくれることになってから、部の雰囲気が変わってくる。吉岡先生は、東京での学生時代、学生演劇の女王と呼ばれるほど有名だったらしい。その指導も的確で、部員はめきめき力を発揮しはじめる。大会でももっと上を目指したいと、みんなが思うようになった。部長のさおりは、吉岡先生の助言もあって脚本と演出に専念することになる。まずは初めての台本執筆に取り掛かるが、全く筆が進まず・・・。

【感想】
平田オリザ氏の本は何冊か読んだことがあり、青年団の公演も一度だけですが観に行ったことがありました。私は演劇には疎いというか、ちょっと苦手意識があったのですが、平田オリザ演出の演劇はその私が苦手と感じる部分が無さそうに思えたので、興味を持ちました。私が演劇について苦手と感じる部分というのは、わざとらしく大仰な身振り手振りや、あの独特の、テンションの高いノリです。どうしても気恥ずかしく感じてしまって、そういう特徴が顕著な場面に遭遇したりすると、手に持っていたストールを畳み直したり、靴ひもを結びなおしたりするなど、妙な行動によって照れを紛らわせたりしてしまいます。誰もお前なんか見てねーよ、という感じなのですが、なぜか照れるのです。漫画でいえば、頬のところにチョンチョンと「頬赤らめマーク」があり、且つ額に汗が一滴落ちて、口元はニヤニヤしている感じの顔です。ちびまる子ちゃんとかでよく出てくる、あの顔です。なぜあの顔になるのかは自分でもよくわかりません。が、演劇鑑賞時以外であの顔になる場面があるかどうかを思い起こした時、「あっ」と合点がいきました。中学・高校時代、クラス対抗球技大会とか、時々ありますよね。あの時に、運動部女子たちが(私は当然文化部、というか帰宅部)、「ねー、猿人円陣組もうよ!」などと言いだして、私は「はぁ!?(そもそも別に勝ちたかねーよ運動苦手だし)(しかもなんで爽やかで可愛いんだよ死ね)」と思ったりしつつも、みんなが「組もう組もう!」と言うので一応円陣に加わって、「絶対勝つぞー、おー!」と叫ばされたわけですが、あの時私は「おー!」と言えませんでした。みんなが溌剌と「おー!」と言っている中、一人で頬を赤らめ、額に汗を一滴流し、口元をニヤニヤさせて、黙って腕だけ中央に伸ばしていました。今思うとただの自意識過剰なのですが、でも、私は今でもこれが出来ない自信があります。これが出来ないことと、演劇特有のテンションを気恥ずかしく感じることに、相関関係があるように思えてなりません。つまり、「ウソくさい」「なのにテンション高い」「しかも一体感ある」というのが苦手なのだと思います。要するに、演劇特有の「ウソくさいノリ」と、「観客とは全く別世界にいる、舞台上の閉じた一体感」が苦手、ということだと思います。こういう人は結構いるんじゃないでしょうか。

余計な話が長引きましたが、やっと本題に入ります。とにかくそうした「テンションの高い演劇」とは全然違う、日常で交わされる会話をほとんどそのまま舞台の上に乗せたような演劇の第一人者が平田オリザで、この『幕が上がる』は、その平田オリザによって書かれた小説が原作です。私はこの原作を、映画の封切3日前に読み終えたのですが、黒木華演じる吉岡先生の語る演劇論がそのまま平田オリザの演劇論になっていて、一冊の青春小説を読んだ以上の感動と刺激がありました。主人公や周りの部員たちの熱気がどんどん増していく様子や、演劇に対する考え方が徐々に変わっていく様子などが丁寧に描かれていて、且つ物語の続きが気になるように出来ているのでどんどんページが進みました。しかもすごいのは、それでいて大して劇的な展開がありません。淡々とした日常を追うような、非常に地味な内容なのです。これは良いものを読んだなぁ、と思いました。その映画化は、きっと原作をほとんどなぞりながら、稽古の場面なんかをちょっとドキュメンタリーっぽくしたり、でもまぁアイドル映画でもあるから、メンバー一人一人が最強に可愛く見えるショットがそれぞれ挟まれたりするんだろうなぁ、などと思っていました。

ところが違いました。基本的には原作通りながらも、結構脚色されているし、そこそこ劇的でした。原作だとサラッと流している部分を、それなりに尺を使ってじっくり見せたりしていました。音楽もガンガン入っていて、はっきりと盛り上げ役を担ってました。ただ、だからといって“ただのアイドル映画”だったかというと、そうでもないから不思議でした。

なぜ“ただのアイドル映画”ではなかったかというと、単純に、部員たちの演劇がレベルを上げていく過程が、ももクロメンバーの演技のレベルが上がっていく様子とそのままリンクしていて、もうこの演劇部員たちはももクロなんじゃないかと思えるほどだったからです。このあたりが、私が想像していたのとは違うドキュメンタリー的要素でした。この映画、順撮りだったらしいです。だからこんなことが可能だったのだと納得しました。これは最近観たアイドル映画の『超能力研究部の3人』とは真逆のアピールの仕方で、それがとても面白いと思いました。どちらも演技経験のほとんどないアイドルを使って「演じる」ことについて描いた映画ですが、作りは本当に真逆でした。『幕が上がる』は、役と役者がリンクして、はっきりとフィクションを撮っているのに中身がドキュメンタリーになっているのに対し、『超能力研究部の3人』は、役者は自分自身として被写体になっていてドキュメンタリーのように見せているのに、中身はフィクションです。というか、後者はフィクションなのかドキュメンタリーなのか、よくわからない箇所もたくさんありました。つまり、『幕が上がる』は、「へへへ、さおりだと思って観ていたでしょ?でもこれ、百田夏菜子なのかもよ!」という感じですが、『超能力研究部の3人』は、「何キミ、まなったんだと思って観てたの?違うかもよ?ケッケッケ!」という意地悪な感じでした。両者は鏡合わせみたいな作品・・・なのか?あんまりいい加減なことを言うのはやめておきますが、もっとじっくり比較してみると面白いかもしれません。

ただ、さおりをはじめ部員たちがどんどん演劇に入れ込んでいく過程は、映画だとちょっと伝わりにくかったような気がしました。そのあたりは原作だともっと丁寧でしたが、映画ではやや唐突な印象を受けました。尺の問題もあるのでしょうが、そこは少し残念です。でも高校という舞台がとても魅力的に撮られていたのは印象的でした。渡り廊下の使い方とか、雨の駐輪場とか、高校ってこんなにも物語性豊かな空間だったんだなーと思ったりしました。母校の造りにそっくりだったのですが、当時は全くそんなこと思わなかったなぁ・・・(帰宅部だったせいかなぁ・・・)。
あとは、さおりの夢シーンとかエンディングの映像などに大林宣彦へのオマージュを感じました。個人的にはあの夢シーンは全然良いと思わなかったのですが、エンディングは好きでした。賛否両論のようですが、私は良いと思いました。だってこれは、ももクロの映画なんだから!

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『幕が上がる』:アイドル映画だけど、アイドル映画じゃなかった!」への3件のフィードバック

  1. くつしたさん、こんにちは。

     僕は『超能力研究部の3人』は観てないのですが、『もらとりあむタマ子』は観ているので、ドキュメンタリーとフィクションということについて書いておいでのことが何となくイメージできてるように感じているのですが、なかなか面白い比較だなと思いました。

     本作について「はっきりとフィクションを撮っているのに中身がドキュメンタリーになっている」という形で妙味を味わうことが出来、なによりでしたね。僕は妙に据わりの悪さを感じて残念でしたが、映画を観るうえでは、楽しめたほうが絶対にお得ですから、羨ましい限り。

     ま、なんにせよ、「だってこれは、ももクロの映画なんだから!」とお書きの通りで、そういう意味では、僕はハナからハンディを負っていたかもしれませんね(笑)。

  2. くつしたさん、こんにちは。

    昨日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁を
    いつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。

    脚本が『桐島、部活やめるってよ』と同じだったというのは、
    こちらを訪ねて初めて気づいたことでした。
    道理でその線を狙っていたと僕が感じたはずですねー。

    僕は観劇が映画観賞以上に好きなのですが、
    「演劇特有のテンションを気恥ずかしく感じる」というのも凄くわかる気がします。
    というか僕も「私は今でもこれが出来ない自信があります」と同じなので、
    だからこそ、逆に自分にはないものの現出への憧れがあるのかも、です。

    ともあれ、ドキュメンタリーとしての『幕が上がる』論、非常に刺激的でした。
    思わぬ触発をいただいたように感じています。どうもありがとうございました。

  3. ヤマ様
    コメントありがとうございます。そして以前にいただいていたコメントに気付いておらず・・・大変失礼いたしました!ヤマ様の記事も改めて読み返させていただきましたが、吉岡先生こそ人生が変わってしまったのだ、というところに深く共感いたしました。もっといえば、「特別なはずの10代をとっくに終えてしまった人でも、これからの人生を特別にできる可能性はある」というようにも捉えられるかもしれない、と思いました。でも、やはり10代は特別ですよね。生徒会の話、興味深く拝見しました。私には何かあったかなぁ・・・と振り返っても、かなりチャラチャラ過ごしたため、思い当たるものがなく、さびしい限りです。
    演劇を気恥ずかしく感じる、というのは、「気恥ずかしく感じるのは損だなぁ」という意味合いでのことなのですが、映画鑑賞以上に観劇がお好きなのですね。私ももっと幅を広げたいと思う今日この頃です。
    いつも色々と刺激的なコメントをありがとうございます!

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