『ビッグ・アイズ』:真の主役はマーガレットではない

Big-Eyes
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2015.1.24 新宿シネマカリテ 『ビッグ・アイズ』/ティム・バートン/アメリカ/2014 ★★★☆

ファンタジーでないティム・バートン。実在の人物のいわば伝記物ということで、これまでのバートン作品の中では『エド・ウッド』(1994年)が辛うじて近いですが、でもこの『ビッグ・アイズ』と『エド・ウッド』は、監督の愛情のある場所と、その向けられ方が全然違うと思いました。以下、両者を時々比較しながらあらすじと感想を書きます。

【あらすじ】

舞台は1950~1960年代のアメリカ。夫の暴力により娘と二人家を逃げ出し、サンフランシスコへ移り住んだマーガレット(エイミー・アダムス)は、唯一の取り柄を活かして道行く人の似顔絵を書くことで小銭を稼いでいた。そこで出会ったのが、ヨーロッパの風景画を売っていたウォルター(クリストフ・ヴァルツ)。彼はとにかく明るく外交的で、娘のジェーンにも優しい。プロポーズされたマーガレットは、すぐに再婚する。マーガレットの書く絵は、人物の目が非常に大きいことが特徴であったが、ひょんなことからこの絵が爆発的に売れる。絵の営業はもっぱら口が達者なウォルターが行い、マーガレットは家でひたすら絵を描いていたが、なんとウォルターが絵を自分の作品として売っていたことを知る。

【感想】※ネタバレあり

これは「女は黙って家事してればいいんだよ!」という時代のアメリカの話で、この映画は実在のヒロインであるマーガレットが、夫からも社会からも閉じ込められていた自分を解放させるまでを描いた映画です。 閉じ込められた女性が解放されるまで、という主軸のストーリーについては、正直言って特別ハッとさせられるものはありませんでした。むしろきっかけがエホバの証人だったというところにある意味ハッとしましたが。映画として、辛い状態を強いられていたヒロインが立ちあがるきっかけが新興宗教って、スッキリとした成長や逆転勝利の物語にならないですよね。でもあえてそこを実話通りに採用しているので、逆にストーリーとしての強度を志向しなかったということなのかもしれないと解釈しました。それは、この映画が女性の自立のストーリーの形をとりながら、その実本当に描きたいことは他にある、ということではないかと思います(後述します)。あるいは、この時代の世相を映すものとしてそのまま採用したのかもしれませんし、最後の最後に後押ししたのは娘の一言だったわけなので、それほど気にするところでもないのかもしれません。ちなみに映画の中でこの新興宗教の是非については触れられていないと感じました。

この映画の「世の中に認められていないけれども自分にとって思い入れのあるアーティスト」を主人公に据えているところは『エド・ウッド』と共通していますが、『エド・ウッド』が本当にエド・ウッド監督やB級映画への愛に溢れた映画であったのに対し、この『ビッグ・アイズ』は一人の女性の自立を、その時代のアメリカにおける女性の扱いを象徴する出来事として描かれていて、そうした社会的なテーマも含んでいるからか、熱量は低く感じました。ヒロインがなぜ絵を描かずにはいられない性分なのか、何が彼女をそうさせるのか、というところにあまり肉薄していなかったからだと思います。マーガレットの、自分の絵に対する思い入れそれ自体は、1950年代の封建主義的アメリカにあって、口下手な彼女が、最初に夫が自分の作品を夫の作品として説明してしまったと聞いたときに「二度としないで」とピシャリと言っていたりするところから伝わってきました。しかしながら、なぜ彼女がああした独特の陰鬱な雰囲気を持つ絵を生み出すのか、なぜ描かずにいられないのか、というところについては、いまいちピンときませんでした。

そこで、この映画の真の主役は、マーガレットという「本当の」作者ではないのではないか、実は、ウォルターという「偽物」が主役なのではないか、と考えてみました。マーガレットの絵に対する熱量は低く感じましたが、代わりに何の熱量を感じたかって、ウォルターの偽物っぷりです。クリストフ・ヴァルツという芸達者な役者を選んでいるあたりからも、この熱量は意図して作り出されたものだと推測できます。なので、この映画は、マーガレットの成長・逆転勝利の物語の形を取っているけれども、本当は「偽物」を描いた映画なのではないか、と思います。思えばこの映画のオープニングは、ビッグ・アイズの少女の絵がリプリントによって大量生産されている、その工程を映したものでした。そして、ポップ・アートの先駆者であるアンディ・ウォーホルの「私はキーンの絵を支持する。多くの人に愛されるということは、魅力があるということである」(うろ覚えです)という言葉を示していました。これは、その後マーガレットという一人の女性アーティストの抑圧から解放までの十数年を描く流れからすると、ちょっとアンバランスではないでしょうか。なので、やっぱり真の主役は「偽物」である、と、私は考えてしまいます。

この映画にはたくさんの「偽物」が登場します。まず、言うまでもなくウォルター。彼は本当は絵なんか全く描けないにもかかわらず画家に対する憧れだけは人一倍で、パリになんか本当は行ったことがないのにパリ帰りを自称し、他人の絵を自分の絵として売っていた(しかもマーガレットの件が初めてではなかった)嘘で塗り固められた男でした。しかしながら商才だけはあったのか、それともアーティストなら当然抱くであろう葛藤が皆無だったおかげなのかわかりませんが、絵の複製を大量生産して販売し、大儲けします。この大量生産された複製の絵も所謂「偽物」です。そして儲けたお金で建てた、一見何の不自由もない幸せな家族の住む豪邸も「偽物」、彼の周りには何一つとして「本物」がなかったといえます。唯一「本物」だったのは、彼自身がそれを本物と信じて疑わなかった、その自己欺瞞です。なので、逆に彼の中では、彼に「偽物」は何一つとしてなかったのではないか、そこに気付く感性も欠如していたのではないかと思います。

ポップ・アートは、言うまでもなくそれまでの「絵画とは作家によって創られたアウラを持つ“本物”が額に入って美術館の奥のほうに飾られているもの」という芸術に対する考え方を覆したもので、その旗手であるアンディ・ウォーホルは、スーパーに売られている、一般家庭のどこにでもあるキャンベルスープの缶をスクリーン印刷(複製技術)で作成し、旧態依然とした芸術界に物議を醸しつつも、大衆に支持されました(この缶は映画の中にも登場していました)。冒頭の彼の言葉は、キーンの大量生産による成功を彼が肯定的に見ていたことを示しています。そして、この映画も実は、「偽物」であるウォルターを、肯定的に、というのは言い過ぎとしても、ある種の温かい目線をもって描いているのではないかと私は思います。

中盤までひたすら胡散臭く最低な男として描かれてきたウォルターですが、裁判の場面になって映画は急にコメディタッチになります。それはウォルターの挙動がひたすら滑稽で可笑しいからですが、これはもう、映画のウォルターへの愛が感じられるほどでした。ウォルターには、決定的に中身がありません。何も考えていないし、何の思いもありません。それを覆い隠すように嘘を重ねていき、自分自身もその嘘の中で生きていて、そこへの疑問も持たないような男でした。これは「最低な男」というよりは、「ちょっと変な男」です。ティム・バートンが、至極まっとうな女性と、ちょっとおかしい男、どちらに愛情を持つか考えてみると、後者であることは間違いありません。エド・ウッドだって完全に「ちょっと変な男」なわけですし、バートンの他の映画を見てみても、異形の者とかアウトサイダーが好んで描かれてきました。そう考えるとこの作品は、ファンタジーでないティム・バートン、バートンにしては珍しい実録もの、のように見せかけておきながら、その実中身はやっぱり紛う方なきバートン映画であるといえるのではないでしょうか。

しかしながら私は、『エド・ウッド』と比べると、やっぱり決定的に映画の魅力は落ちると感じてしまいました。それは、冒頭でも述べたように、『エド・ウッド』とは愛情のある場所とその向けられ方が全然違うからだと思います。『エド・ウッド』では表現者と変わり者が同一人物(エド・ウッド)であり、バートンの愛情はエドとエドの作り出すどうしようもないB級映画に向けられていました。それに対してこの『ビッグ・アイズ』では、表現者と変わりものが別の人物(マーガレットとウォルター)であり、バートンの愛情は前者の生み出したものを大衆に届けた後者に向けられています。子供のころキーンの絵が大好きだったというバートンは、世界トップクラスの映画監督という複製芸術の一人者となったわけで、「モディリアーニが好きで・・・」というまだ(ポップアートと比べると)古いほうの芸術を志向するマーガレットのほうに寄りそってはいないはずです。もちろん、絵自体はマーガレットが描いたものだし、マーガレットへの愛情というか敬意は映画の中にも溢れているのですが、バートンの「変な奴に魅かれてしまう」嗜好は、どうしようもなくウォルターに向けられていると感じました。なので、いまいちマーガレットの印象が薄いし、魅力の上でウォルターに負けてしまっています。

真っ直ぐピュアに突き進むエドに、それこそ真っ直ぐな形で愛情を注いでいた『エド・ウッド』を思うと、そこにバートンの20年があるようにも思えるし、あのキラキラした感じはやっぱり熟練とか老成とか、そういうものが作り出せるものではないんだなぁ、と思ってしまいました。

ところでこちらのブログの解釈が鋭すぎて大変勉強になりました。他の記事も必読です!

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『ビッグ・アイズ』:真の主役はマーガレットではない」への1件のフィードバック

  1. くつしたさん、こんにちは。
    昨日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。

    「ウォルターへの愛」について言及しておいでのところ、とても面白かったです。拙日誌にも「マーガレット・キーン(エイミー・アダムス)以上に、ウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)の破格に恐れ入った」とは記しましたが、そこから先にはさして踏み込んでいなかったので、確かになぁ、と感心しつつ読みました。

    どうもありがとうございました。

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