『薄氷の殺人』:風景の一つ一つに表された現代中国の抱える矛盾

hakuhyonosatsujin

2015.1.11 ヒューマントラストシネマ有楽町

『薄氷の殺人』/ディアオ・イーナン/中国・香港/2014 ★★★☆

良かったです。フィルム・ノワール好きからすると色々と突っ込みどころがあるのかもしれませんが、この映画はフィルム・ノワールというジャンルを借りてはいるものの表現したかったことは別にあるように思ったのと、私が個人的にフィルム・ノワールに一家言無いということから、そこはあまり気にしませんでした。感想はネタバレしてます。解釈は我流です。

【あらすじ】

1999年、中国の華北地方でバラバラ殺人事件が起きる。血まみれの服と身分証が発見されたことから、被害者は工場の測量員リアン・ジージュンであることがわかった。犯人と目されたのは工場から石炭を運ぶ運転手の兄弟であったが、警察が追い詰めた際に銃撃戦となり死亡。この時、この件を追っていた刑事ジャン・ズーリー(リャオ・ファン)も負傷する。事件は容疑者兄弟の死亡により曖昧に解決をみた。しかし2004年、ふたたびこの時と似た手口の殺人事件が起こる。ジャンは妻から離婚を言い渡され、また怪我により刑事を辞職したこともあり、自暴自棄の日々を送っていた。しかしこの事件のことを聞き、捜査に加わり始める。その中で、1999年の事件を含めて3人となった被害者男性は、必ずウー・ジージェン(グイ・ルンメイ)という女と親しい仲であったことがわかる。

【感想※ネタバレあり】

ジャンル映画ではあるものの、結構アート系でした。セリフは少ないし(グイ・ルンメイなんて全てのセリフ合わせても3分ぐらいにしかならないのでは?)、説明もほとんどありません。なので、フィルム・ノワールというジャンルとそのプロットにこだわるなら、矛盾しているように思える部分もあるし、単純によくわからなかった箇所もありました。でもそういうところはさておき、私は、これは現代中国が抱える格差や矛盾を映し出すことに重きをおかれた映画なのだと捉えたので、それをジャンルの中にうまく溶け込ませてることに成功していると思いました。真相における犯行動機は最もそのコアの部分に絡んでいるし、映し出される建物や人々もそれを表現することに十分に機能していました。

ところで、ジャ・ジャンクーも現代中国の抱える様々な問題を捉える監督で、且つアート系の作風ですが、その意味で、ちょっと表現は乱暴ですが、このディアオ・イーナン監督もジャ・ジャンクー系統の監督といえると思います。実際にいくつかのモチーフ(ナイトクラブ、ダンスなど)が似ているような気がしました。あと長回しが多用されるところも。と思ったら、この二人は30代の頃、夜通し語り明かすような仲だったそうです。そして監督自身が「世代的なことでいえばチェン・カイコー、チャン・イーモウらの第5世代は過去の中国に興味があった。しかし僕ら第6世代は、より現代社会に目を向けて撮っているような気がします。第5世代の監督たちは小説の映画化も多いですが、僕らの世代は自分たちが直面している現代社会を題材に物語を紡いでいる点が大きく違うといえますね。」(パンフレットより)と語っているように、この映画で表現された問題意識は世代に共有されたものでもあるのだと思います。

映画の内容に戻ると、プロローグともいえる1999年の部分の季節は夏でしたが、2004年に移るとき、まさに「トンネルを抜けると、そこは雪国だった。」状態で、トンネルを抜けると5年後になっていて、あたり一面雪で、吐く息も真っ白で、凍てつくような寒さが画面いっぱいに広がりました。この寒々しい風景は、中国の貧しい人たちの暮らしをそのまま表現しているように思われました。舞台となった町の、古い建物が連なる人気もまばらな通りにわびしく下品に光るネオンサインや、鄙びた街並みに場違いに登場する観覧車などは、登場する人物がみな、警察のほかは貧しいかチンピラか成金かのどれかであったことにそのまま呼応していました。また、少し外れるだけで何もない平野の広がる場所にあるスケートリンクも、そこで流れている不釣り合いに華やかで大仰な西洋音楽が、美しくもなく華やかでもないその場所の本当の姿を覆い隠そうとしているようで、街全体の歪みを象徴していました。そして、物語はその歪みの中で生まれたものでした。この映画は、風景一つを取ってみても、そうした社会的メッセージの込められたものになっていました。

そして物語はそんな凍てつく町を舞台に、一連の殺人事件の真相と、ジャンとウーの奇妙な魅かれ合いがサスペンスフルに同時進行するわけですが、ラスト、真相が明らかになった後で、この社会的問題意識と二人の情愛が一つに結実していました。

あの花火は、私は間違いなくジャンが上げたものだと思います。まさしく「白昼の花火」ですが、この「白昼の花火」はウーが殺してしまった男の妻が経営するナイトクラブの名前でもありました。このナイトクラブは、夜の観覧車から見降ろすとほとんど灯りのない街に、そこだけ異様に明るいネオンを発して不夜城のようにそびえていて、闇のほうが街の本当の姿であるのに対し、その不夜城はスケートリンクの派手な音楽同様、虚構の、まやかしの象徴となっていました。ジャンはその歪みを叫ぶかのように、ウーと、彼女を引き連れて捜査している警察の頭上から、花火を降らせました。それは、いわばその歪みの被害者ともいえるウーへの応援のようなものでもあったと思います。花火を見たときのウーの表情は、それに気付いていたことを示していました。ここで、それまで描かれてきた現代中国の問題点と、フィルム・ノワール的に機能してきた二人の奇妙な情愛が交叉していました。

思えばジャンもまた、決定的に堕ちるところへ堕ちた男で、あの奇妙なダンスシーンで、ウーがこれからいわゆる「まともな男」として生きていくことは不可能であることが示されていたと思います。男女組みになった人々が調和のとれたダンスを踊っている横で一人ジタバタと変なダンスを踊っているジャンは、横の、順調な人生を歩んでいると思われる人々とは大きく隔たっていて、対照的でした。また、この映画のラストショットは本当に妙で、ビルの屋上で花火を飛ばしまくっているジャンに「花火の規則に違反している!」と拡声器で叫びながら今にも捕まえようと近づいている警察たちを捉えたものでした。これは歪みを歪んだままにしている管理側への批判ともとれると思います。また、この映画の本国公開版では、当局の検閲によっていくつかの重要なシーンがカットされているとのことで(観覧車内のシーン、ナイトクラブオーナーの女が浴槽に落ちるシーンなど)、それを知るとなんとなく、そうした中国映画界の検閲の厳しさや表現への理解のなさに対する監督の批判のようにも思えました。まぁ、これは穿った考えですが。

 

と、ここまでわりと真面目に書きましたが本音を言うと、「ウー、ただの男好きじゃねーか」が第一の感想です。だって、自分のために身を挺して犠牲になった夫を裏切って他に男を作るって、どういうことですか。「いや、そりゃファム・ファタルだから」というのが答えなんでしょうが、どうもヒロインが好きになれませんでした。グイ・ルンメイの存在感や美貌は凄いと思うのですが、「(男関係で)汚いことをしているのにむしろまるで清いかのような顔をして、なんとなくそれでまかり通っている」タイプの女なので同性からは嫌われると思います。なんか私今すごくどうでもいいことを書いているような。でもグイ・ルンメイは『GF*BF』でもそういう感じだったのでどうも好きになれませんでした。

あと、ちょっとよくわからなかった点などを羅列して終わります。
・冒頭、ジャンと妻がトランプ(ババ抜き?)をしていたのは何かのメタファー?
・容疑者とされた兄弟(死亡)は一体何だったの?悪いことはしていたけど、事件とは関係なかった、とか?
・クリーニング店の主人がコスプレ女を買っていてその女が警察に囲まれてたのはストーリーにどう関わっていたのか読み取れなかった。何か見逃したのかも。

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『薄氷の殺人』:風景の一つ一つに表された現代中国の抱える矛盾」への2件のフィードバック

  1. こんにちは!
    映画の背景をほとんど知らなかったので、くつしたさんの感想を読みながら映画を思い出していました。もう一度観てみたいです。
    私はこの映画、ウーの変化がとても気になりました。
    静かにそっと目立たないように生きていたウー、ジャンと関係をもったあと真っ赤な口紅をキュッとひくウー、警察につかまった後は、全てをあきらめたのか安堵したのか、無防備な子供のような顔で現場検証をするウー、白昼の花火にふっと笑みを浮かべるウー。
    劇中の男性と同じく、ウーとそして演じているグイ・ルンメイさんが気になってしょうがないです(笑)
    彼女が何かをしてもしなくても、男たちによって回りの世界が勝手にぐるぐると動かされているように見えてちょっとかわいそうでした。美人は存在自体が罪なのかもしれません。
    そして、私もトランプのシーン等々はよくわからなかったです。コスプレ女性と遊ぶ店主や容疑者とされて警察に殺された人たちなども、意味は汲み取れませんでしたがストーリーとはあまり関係なく何か中国の現状を表すキーになっているのでしょうか。
    それにしても仲良くトランプをして関係を持ったすぐあとに、紙切れ1枚投げつけてあっさり縁を切ってしまうのにはびっくりです!まさか夫婦だったとは…。中国女性強し、です。

    • YUMI様
      コメントありがとうございます!この映画、もう一度観たくなりますよね。二度観たら、理解できなかった場面も少しはわかるかもしれません。
      ところで「美人は存在自体が罪」・・・深い言葉ですね。そんなこと言われてみたいです(笑)。でもウーは確かにそんな言葉を言いたくなるような薄幸美人でしたよね。登場の場面の生足が美しすぎて印象的でしたが、あそこで決定的にファム・ファタルであることを見せつけていたんですよね、きっと。そしてトランプの場面、私もまさか夫婦だとは思いませんでした。愛人か何かかと・・・。そのくらい二人の間に親しみが感じられなかったということで、映画の目論見通りなんでしょうか。
      もう一度観られたら、私もウーの変化を軸に観てみたいと思います!

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