『紙の月』:男に貢いで堕落する女の話、ではなかった

kaminotuki

2014.11.15 新宿ピカデリー

『紙の月』/吉田大八/日本/2014 ★★★★★

原作未読です。NHK版ドラマも未見。この映画版は、原作とはだいぶ違っているらしいですが、私はこの映画が素晴らしいと思いました。何が素晴らしいって、ただ道ならぬ恋におぼれて罪に手を染め堕落していく女の話、ではないところです。

【あらすじ】

銀行で契約社員として働く、美しいが平凡な主婦梅澤梨花(宮沢りえ)は、それなりの規模の会社で順調に出世コースをたどる夫(田辺誠一)と二人暮らし。子供には恵まれず、年齢的にも難しいところに来てしまってはいるが、穏やかな毎日を過ごしている。そんなある日、ふとしたことから、梨花は顧客から預かったお金から1万円借りてしまう。その時はすぐに戻したが、このことがきっかけとなり、どんどん自制がきかなくなって、莫大な金額を横領していくことになる。最初の大きな額の横領は、顧客の孫である平林光太(池松壮亮)と恋に落ち、学費を出してあげるために行われた。光太に自分をお金持ちに見せるため、梨花はどんどんお金を使っていく。

【感想(※少しネタバレあり)】

どうやら原作は「恋に溺れて罪に手を染める」というところがフィーチャーされているようですが、本作はそう見せかけておきながら、実はそうではないところが素晴らしいです。

それを描くのに重要な働きをしているのが、梨花の横領をわりと早い段階から感知しているお局社員・隅(小林聡美)ですが、それは後述します。

梨花のことからはじめます。まず、梨花が光太と出会い、恋に落ちていく過程に、恋愛映画のような盛り上がりが全然ありません。二人がホテルに入った場面では、「えっ、なんでいきなりそんなことに!?」と思ってしまいます。もっとも、その前に夫のデリカシーのない発言(プレゼントしたおそろいの時計を安物扱い)があり、思い起こせば冒頭、夫婦が一緒に電車に乗っている場面は、夫が降りるときに「じゃ」と言わなければ夫婦であることに気付かないような演出になっており、夫婦仲がマンネリ化していることが描かれています。夫はパートから契約社員となった妻に対しても、どこか「専業主婦」と同じような目線を投げており、「たいした仕事してないでしょ」という意識が見え隠れします。でも、海外出張に行ったときに妻へお土産を買ってきたりして(しかしそれがカルティエの時計で、かなり無神経)、極端に悪い人ではありません。まぁ、このレベルだったら結構よくいるんじゃないかと思うような感じです。しかも舞台が1994年なので、今よりはずっと共働きが少なかったし、まぁ結構普通なんじゃないかとすら思えます。
しかしながら、光太とホテルに行く前、駅のホームで偶然会ったとき、梨花は明らかに「そうなる」ことを期待していました。一体いつの間にそんなに光太のことが好きになったの?という感じなのですが、この場面の演出は本当に秀逸で、それが「光太に恋をした」というよりは、「変化を求めているときに、進めてくれるコマが見つかった」という感覚であることまで伝わってくるのです。もちろん、女としての魅力がもうギリギリの年齢であるときに、自分に自信をつける出来事であったこともあるとは思います。でも、同時に、どこか破滅願望みたいなものを抱えた自分を目覚めさせたいような、そういう欲望を満たしてくれる存在と出会えたということが大きいのではないかと私は思います。

そして、光太がお金に困っていることを知った梨花は、救いの手(横領した金)を差し伸べ、そこからどんどん転落していきます。ホテルで豪遊して150万近く使ったり、高級レストランに通ったり、BMWを買ったり。しかも、横領するための工作(領収書の偽装など)にも念が入ってきて、ザ・90年代ではあるものの(プリントゴッコ先生の登場)、パソコンやプリンタを導入して自宅を作業場に変え、熱心に偽領収書や偽キャンペーン広告などを作成し始めます。すごい情熱です。ちょっと引きます。この技術、当時だったら仕事を得られるぐらいすごいんじゃないでしょうか。何せ全部自分で「こうすれば良いんじゃないか」
「こうすれば出来るはず」と考えてやってるわけですから。こんな集中力や発想力でこんなことできるんだから、この人仕事できるんだろうな。

ですが、そんな情熱も、いまいち「光太のため」感が薄いです。やっぱり、「自分のため」だったんだと思います。本人は気付いていないかもしれませんが、梨花という人は、人に頼りにされることで自分を保つ人なのではないかと思います。中学時代にカトリック系教育の一環で行われた募金プログラムで、はじめは熱心に募金していたクラスメートたちが次第に募金しなくなったのを見て、父の財布から盗んだ5万円を募金箱に入れます。このプログラムは、受け取った人(難民や災害の被災者など)から直接お礼の手紙が届くもので、「自分はこの人に役に立っている」という実感をわりと強く持つことのできるものでした。梨花はこういう実感への欲求が元々強く、しかもそれは、これを満たすためには手段を選ばないほど狂気と紙一重な強さだったのだと思います。夫は「俺が食べさせてやってる」と思っているタイプなので当然この欲望を満たしてくれる存在ではなく、梨花は自分の存在意義に確証が持てないような、不安定な日々を過ごしていたのではないでしょうか。

そこで、隅(小林聡美)です。ラストの隅と梨花の対峙の迫力は凄いです。長回しだし、なんたって宮沢りえvs小林聡美だし。隅は、何せ「自由になんでもやっていい、ということになったら何をするか考えたら、徹夜ぐらいしか思いつかなかった」女です(徹夜って・・・)。きっと子どもの頃から優等生で、社会のルールから一度もはみ出さず、キチッキチッと生きてきたのだと思います。だけど、大きなことをしでかした、やりたい放題やった梨花に対して、自分には絶対にできないことをした女、という、少しの羨ましさが生まれていたのだと思います。この隅という存在はきっと梨花の一部分でもあって、梨花も真面目に、地味に、普通に生きてきた女で、でも何か満たされない部分があり、それが爆発したわけですが、隅は爆発しなかったし、そもそもそういうきっかけも意識もなかったという、表裏一体のような存在として機能していました。お互いにとってお互いがパラレルな存在とでもいえそうです。それを示すこの対峙があったお陰で、「ああ、この映画は単に恋におぼれた女を描いた映画じゃないんだな」ということがはっきりします。

ところでもう一人、映画オリジナルのキャラクターとして若手社員の相川(大島優子)がいますが、この人も梨花の一部分であったと思います。軽はずみな危うい発言を繰り出す相川が、実は梨花が罪に手を染める影響を知らず知らずのうちに与えています。梨花の中にある黒い部分を、相川が実に軽く、チャラく、刺激します。大島優子、案外良かったですよ。役とキャラクターが合っていたからでしょうが、悪くなかったです。

そしてあの爽快な走りがあり、映画は終わったのかと思いきや、エピローグがありました。募金プロジェクトの伏線の回収ではありますが、これは無くても良かったような。いや、あっても別に良いんですが、いきなり映像のトーンが変わるし、走ってどこへ行ったのかは、あまり示されたくなかった気がします。しかしこれは原作にあるようで(しかも原作では冒頭らしい)、監督は始めからここを外す気はなかったのでしょう。そして、物理的な「行き先」は示されてしまっても、やはり完全な自由は手に入っていないことがきっちり描かれて終わるので、やっぱりこの監督は凄い。と思いました。そもそも全体を通しても、愛人にハマって何千万円も横領した女の話、というプロットの激しさにもかかわらず、必ずしもヒロインを悪人にせず(むしろ観る側はヒロインに同情的になるのでは。それも完全にではなく)、夫も恋人も、悪人でも善人でもない描き方をしていて、そしてラストも「自由を手に入れましたーっ!」という終わり方でもなくて、全てにおいて「どちらともつかない」あわいを描いているように思えます。でも人間ってのはきっとそういうもので・・・私はこういうスタンスを持った作品がすごく好きです。

【余談】
池松壮亮は最近濡れ場づいてますが、彼の濡れ場は女性に喜ばれるような品があって良いですね。ホテルではしゃぐ場面も可愛くて良かった。でも邪悪さをひそめた可愛さで、小悪魔的で良かった。だんだん調子に乗ってくるあたりも良かった。つまり彼は良かった。
あと、エンディングテーマがVelvet underground & nicoの“Femme Fatale”で、この曲をヘッドホン以外でこんなに大音量で聴いたことがなかったので、なぜかそこで泣けてきました。「全て牛耳ってるのは彼女だぜ」みたいな意味合いの歌詞も、映画に照らし合わせると意味深。

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『紙の月』:男に貢いで堕落する女の話、ではなかった」への9件のフィードバック

  1. 私は原作を読了し、これから映画を観ようとしているものです。
    多くのレビューがこの話を「ただ道ならぬ恋におぼれて罪に手を染め堕落していく女の話」としてのみ捉えて、それを好きか嫌いかという点から感想を述べている中で、こちらのレビューはまさに私が求めていた言葉ばかりでした。

    実は私も夫の間に長らく夫婦関係はなく、周りからは美人の奥さん、よくできた嫁などと言われながらも深い孤独を感じていました。
    このまま誰にも触れられないまま老いていくのかな・・・と思っていました。
    そんな中で私を求めてくれる人と出会い、いけないと思いながらも女性として扱ってもらえた嬉しさに心を動かされてしまいました。
    恥ずかしいぐらいよくある話ですよね。

    ”「光太に恋をした」というよりは、「変化を求めているときに、進めてくれるコマが見つかった」という感覚”
    ・・・まさにその通りなのです。

    この映画は彼と一緒に見に行く予定です。
    本当なら夫と見に行って夫婦の問題に気づいてもらうのが正解なのでしょうが、もう夫との関係を改善する気もおきないですし、ベッドシーンをともに観ることに強い抵抗感もあります。
    私はどこまでいくんだろう・・・漠然とした不安を抱きながら映画を鑑賞したいと思っています。
    自分のずるさや、していることの怖さを実感すれば、この偽りの幸せを諦められるでしょうか。

    素敵なレビューを本当にありがとうございました。

    • こちらこそ、素敵なコメントをありがとうございます。原作をお読みになったとのことで、読んでいない私の感想もそれほど的はずれではなかったのかな…?と、勝手に励まされております。
      梨花と似た状況にいらっしゃるとのことですが、この映画はそうした一般的には「悪い」とされることを、否定も肯定もしていないと私は捉えました。実際に、人の行いの良い悪いなんて、はっきりと分けられるものでもないと思うので(特に他人からは)、それを描いた本作はすごく良い映画だと思いました。でも、確かにあまり評価しないレビューも結構ありますね。観終えた後は絶対に高評価だと思ったので少し驚きました。
      どうぞ、映画を楽しんでいらしてください。私は映画版の梨花を清々しく思いました。ああいう清々しさって、あると私は思います。

  2. 素晴らしいレビューで氏の感じた内容で各シーンを回想できました、ありがとうございます。原作とTVドラマを読んだり見たりしておらず、映画を見た者です。

    調子にのって私も感想を少々。
    私の印象に残ったシーンはラストの対峙から走って逃げるところ、光太のいるホームへ続く階段を宮沢りえが降りてくるところ、そして贋作伝票を作る作業場と化したダイニングルームのところです。
    光太のもとへ階段を降りるシーンでは、直前までの役と何か180度変わったと思わせる凄みを感じました。日常で一歩踏み出した時の、自身では余り意識しないけど周囲の評価が変わってゆく、あの感じです。
    横領については、自身は現金の出納役ではないが、銀行内の出納手順を調査してその作業手順上のピットホールを狙うことで行為を重ねて行きます。賢く強い意志を持ったこれらの行動は、出世を狙うエリートや起業家の雰囲気でその最たるものがダイニングのシーンです。
    いずれも自分自身の生き方を尊重し発展させようとする努力であり、動機や結果が正義や社会通念に合致するかは「どうでもいい」と思わせる程の主人公の熱意に溺れます。何かをやり遂げるということが結果が何であれこんなにも清々しい、気がついたら彼女が走っていた。
    しかし、この走るシーンで映画が終らなかった所にこの監督さんの凄みを感じました。自分自身の生き方が間違っていると指摘された過去を思い知らされるラストシーン、膝をガクガクさせながら崩れ落ちてしまう程の絶望感で終る所が凄いなと思いました。

    見ごたえのある素晴らしい映画だと思います。

    • コメントありがとうございます。こちらこそ、書いてくださった感想を読んで何度も「ああ、そうか!と膝を打ちました。特にラスト、そういうことだったんですね!単に伏線を回収してストーリーの面白さを上げると同時に再び中学時代を想起させる、ぐらいの意味でしか捉えていませんでしたが、そうではなく、「戦争で亡くなったから返事が来なくなったわけじゃなかった、ただ単に返事をしなくなっただけだった」という、中学時代の行為が全否定される絶望を描いている、ということでしょうか?だとしたら、確かにあのラストは凄いですね!気づかないままでいるところでした…ありがとうございます。ますますこの映画に魅了されました!

  3.  『チネチッタ高知』というサイトを経て訪ねて来たヤマと申します、はじめまして。
     十数年来、定期的に映画の鑑賞日誌をサイトアップしているのですが、折々にネットで出会った感想や論評で気に入ったものを拙日誌からのトラックバックと言うか直リンクに拝借したりしています。過日の拙サイトの更新で、こちらの頁を拝借したので、報告とお礼に参上しました。

     本作を僕は時代性と共に観る部分が非常に強かったので、そういったものとは別個に非常に人間的な部分に焦点を合わせて御覧になっている感想が鮮烈でした。核心部分は「どこか破滅願望みたいなものを抱えた自分を目覚めさせたいような、そういう欲望を満たしてくれる存在と出会えたということが大きいのではないか」というところですよね。成程と思いました。そして、三十年前に忽然と僕にだけと告げて、奥さんと二人の娘さんを置いて失踪した7歳上の友人が残した“滅びに向かう黒い情熱”という言葉を思い出しました。

     「全てにおいて「どちらともつかない」あわいを描いているように思えます。でも人間ってのはきっとそういうもので・・・」同感です。人間というものをそのような眼差しで捉え、描いた作品が僕も好きです。

     いきなりの不躾な報告とお礼なので、拙サイトをご覧いただいて、拙日誌でのテクスト拝借が不本意であればリンクを外しますので、教えてください。どうもありがとうございました。

    • ヤマ様
      はじめまして。コメントありがとうございます!そしてリンクを貼ってくださったとのこと、重ねてありがとうございます!!
      サイトを拝見しました。とても見やすくて中身の充実した素敵なサイトですね。そんなところに自分の書いたものがお邪魔しているなんて恐れ多いのですが、とても嬉しいです。ヤマ様の書かれた記事もいくつか拝見しました。特に『ゴーン・ガール』の、アンディについての解釈になるほどと唸らされました。私もただの田舎のギャルぐらいにしか考えていませんでしたが、確かに、女たるもの裏表のない普通の子、なんて逆に普通じゃないのかもしれないですね。
      『紙の月』については、人物の感情を中心に考える、というのはそれこそ素人ならではという気がしますが(苦笑)、そんな見方でも大変興味深く観る事のできた映画でした。
      これからも時々覗きに行かせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

      • kutsushitatomokさん、
        過分のお言葉、恐縮です。ご快諾くださり、ありがとうございました。
        『ゴーン・ガール』は、お書きのようにスルメ型と言うか、本当にいろいろ触発してくれる作品でした。ひたすら「結婚」に収斂させたところに抱いた違和感を、望ましき「共演者」を得ての再コンビの結成で腑に落ちたとのコメント欄の遣り取りも素敵な感想を拝読し、本文の3つの論点について興味深く読ませていただきました。
        その件については、またそちらの頁にてコメント致したいと思います。
        こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いします。

  4. 私は「若い男に色呆けし、金を愛した中年女」の映画だと思っていたので、
    なんて洞察力の深いレビューなのだろうと感銘を受けました。

    梨花が駅のホームの階段から下りて来る、
    「始まり」を予感させるシーンが好きなのですが、
    私も同じく「光太に恋をしたから」とは感じませんでした。
    「あぁ、何でも(誰でも)いいんだよね〜」と、
    まさに「変化を求めている時に、進めてくれるコマが見つかった」ですね。

    そして、堅物さんの「自分自身の生き方が間違っていると指摘された過去を思い知らされるラストシーン」ですが、私は真逆の受け取り方をしました。

    「梨花が救いたかった生命(男性)から、今度は梨花が生命(果物)をもらい、
    一部は親から盗んだ金ではあったが、少女期の梨花の潔癖さやその罪も含めて「報われた(生きていた)」と感じ、涙してしまいました。

    なので、堅物さんの解釈に自分の浅さを思い知りました(笑)

    映画は自分の中のもの。と思い、レビューはあまり読まないようにしていましたが、
    解釈が広がり、気付きもあって、読んで良かったです。
    また覗かせていただきます。

    • mさま
      お返事が大変遅くなってすみません!コメントありがとうございます。
      あのラストは、色々な受け止め方ができそうですね。mさまの解釈、なるほどと思いました。堅物さんの解釈とは真逆になりますが、でも私はかなり納得させられました。そういえば、それまでは全体的に色彩が薄かったのに、あの場面だけ急に鮮やかになりましたよね。そう考えるとm様の解釈のほうが作者の意図なのでしょうか。原作を未だに読んでいないので、読んだら少し、一応「正しい」解釈ができるのかもしれませんが、でも、映画は色々な解釈ができてこそ面白いとも思います。
      私は映画を見終わった後、自分の頭ではなかなか整理できないことが多いので、わりと色々な人のレビューを読むことを楽しんでいます。普段あまり読まれないm様に読んでいただけて、とても嬉しいです。ありがとうございました!

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