『愛しのゴースト』:ラストの落とし前に驚嘆

love-ghost

2014.11.1 シネマート六本木

『愛しのゴースト』/バンジョン・ビサンタナクーン/タイ/2013 ★★★☆

怪奇あり、笑いあり、涙ありの大衆娯楽作で、ラスト近くにはちょっとしたどんでん返しもあって面白かった!

この映画、タイ国内では『アナと雪の女王』を抑えて未曾有のヒットとなったそうですが、それまでは、タイで大ヒットする映画というのは『スリヨータイ』のような愛国歴史映画と相場が決まっていたそうです。本作はそれを覆し、タイ映画界に大きな旋風を巻き起こしたそうです。私はタイ映画というと数えるほどしか観ておらず、それもどちらかというとアート寄りのものばかりだったので(『ブンミおじさんの森』とか)、新鮮で楽しめました。

【あらすじ】

戦場から無事帰還したマーク(マリオ・マウラー)は、美人の妻ナーク(ダビカ・ホーン)と、もう生まれているだろう子どもを自慢するために、兵士仲間4人とともに田舎の家に帰ってくる。家で待っていた妻は相変わらず美しく、マークは再び訪れた平和な日々が嬉しくてたまらない。しかし翌日、仲間をつれて村の市場へ出かけたマークは、村人たちの様子がおかしいことに気付く。なんと、妻ナークが既に死んでいるというのである。それを聞いたマークは信じないと言って激怒するが、仲間たちは徐々にナークが本当に幽霊であることに気付き、恐怖に震えあがる。

【感想】※ネタバレあり

ストーリーは、タイでは誰もが知っている民話だそうで、日本にも『雨月物語』の「浅茅が宿」など、似たような話があるため、題材に特段目新しい魅力があるわけではありません。しかし、そんな定番なストーリーを面白く魅力的に見せたのは、コミカルな作風と、でも怪奇な描写は結構ちゃんと怪奇してるところと、途中で何度かどんでん返しがあって引き込ませる仕掛けの脚本によるところが大きいと思いました。もちろんナーク役のダビカ・ホーンの美しさとかもありますが。

コミカルという点については、主に仲間たち4人がコミカルな役回りを担っていて、それぞれのキャラも立っていて笑えます。笑いの質はやや古いような気がしますが、でもまぁ笑えます。この4人の存在は民話にはなくて、監督のアイデアでこの映画オリジナルのものだそうです。

怪奇の描写も、ボートで村に入ってきたときに立ちこめる霧とか、廃屋とか、ラストのまさかの白塗りon鬼の形相とか、バリバリにエンターテイメントな作りで素晴らしいです。特にボートを漕ぐ場面は、なんかディズニーランドのカリブの海賊みたいで、全然リアルじゃないんですよね。リアルさとかいらないんです。でもショボさとかは全然なくて、かなりお金もかかってる感じで、ちゃんと観る側がワクワクするように作られてました。薄暗くて、どこに何がいるかわからなくて、水の音がして、不気味です。あとタイの、ボートが交通手段になっている山の中の村という設定も、水郷好きとしては良かったです。

しかし私が一番面白いと思ったのは、途中の何度か用意されたどんでん返しで、たぶんあくまでもエンターテイメントのためにさらっと用意された仕掛けだと思うのですが、ちょっと深く考えてしまいました。以下は完全ネタバレです。

この映画はオープニングでまずナークが死んだことを観客に伝えています。薄暗い家の中、臨月くらいにお腹の大きなナークが倒れ、足の間から大量の血を流して苦しそうにうめき、「誰か助けて・・・!」と手を伸ばし、ランプの灯が消えて暗転。これがオープニングで、次はもうマークの戦場の場面に移ります。ナークが死んだことと、死因まではっきりとわかるように出来ていて、時間も短く、1~2分だったような気がします。実にすっきりしていながら、不気味な雰囲気といきなりの衝撃的な場面で、観客を引き込んでいきます。そして戦場の場面でわりと激しいドンパチがあり、その戦いの中での仲間たちとのやり取りでマークと仲間たちを紹介したのち、マークが仲間を引き連れて村に戻ってくる場面となります。ナークがマークを出迎えますが、この時観客は既にナークが幽霊であることを知っているわけです。マークと仲間たちは気付いていません。しかし、仲間たちは徐々に気付きはじめます。が、ふとしたことをきっかけに、彼らは、幽霊なのはナークではなくマークだ!と思い始めます。そしてマークがやっぱり幽霊でないとわかると、ナークでもマークでもないなら誰だ?お前か!という、幽霊なすり付け大会が始まります。私はここがすごく面白かったです。幽霊がナークであることは冒頭を見て明らかなのに、でも結構「そういえばマークは戦場で致命傷を負っていたのにこんなに元気に生きているなんて確かにおかしい・・・」などと思ってしまい、なかなかに翻弄されます。戦場の場面は、映画全体から見るとあれほどの尺を取る必要もないし、お金もかかってそうだったので、そうまでして撮る必要のある場面だったのかな?と思ってしまいますが、物語がこの「幽霊は誰だ」大会まで進んでみると、途端に活きてきて、なるほどなぁ、と思いました。冒頭でナークが死んだことが示されているとはいっても、誰かが駆けつけてきて「死んでいる」と言ったわけでもなく、お墓に埋められる場面があったわけでもないので、「あれ?結局死ななかったのかな?」と思ってしまったりするわけです。
あと、「幽霊だと思って見れば、誰もがそう見えてくる」ということについても、面白いと思いました。考えてみれば、その人が幽霊や宇宙人でない証拠なんかどこにもないわけで、下手したら自分が人間であるということだって確実ではないわけで・・・(ちょっとPKディックの読み過ぎですが)、この映画においてそれは笑わせる場面を作ることと、観客を翻弄して引き込ませること、つまりエンターテイメントとしての面白さに貢献する仕掛けですが、それだけでなく、そういう現実と幻想怪奇の境目の曖昧さが、この「幽霊は誰だ」大会のあたりで一気に自分のこととして身近に感じられるような仕掛けでもありました。

そして、まるでゲゲゲの鬼太郎とか妖怪人間ベムの妖怪退治みたいな場面ののち、愛が語られ、泣ける場面となり(私はあんまり泣けなかったけど)、なんと幽霊だろうと構わない、一緒に暮らそう、ということで、普通にナークが生きているときと同じように過ごすことになるラストには驚きました。日本だと、愛が語られた後はだいたい、ナーク「ありがとう・・・さようなら(だんだん姿が薄くなる)」マーク「ナーク!行かないでくれ!」みたいな、「愛を確かめ、幽霊は踏ん切りがついて成仏しました」という終わり方が定番だと思うのですが、まさかそこからまたナークが日常へ戻っていくとは思いもよりませんでした。ある意味予定調和でない、奇抜な終わり方だと思います。タイ人の感性では普通なんでしょうか?驚きました。でも考えてみれば、愛する人を失ったとき、幽霊だろうと普通に会話したりできるのならそれでも良いから側にいてほしい、と思うのが普通かもしれません。物語としてはちょっとびっくりでしたが。でも面白かった!映画館で観ていて、周りの人もよく笑っていたし、終わったあとも「面白かったね!」と言い合っていました。あと関係ないけどタイ語の喋り方は甘え声のように聞こえて萌え。

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