『フットノート』:イスラエル映画ってどんなもの

footnote

2014.8.23 ヒューマントラストシネマ渋谷(三大映画祭週間2014

『フットノート』/ヨセフ・シダー/イスラエル/2011(2011年カンヌ国際映画祭脚本賞) ★★★☆

日本ではあまり観る機会のないイスラエル映画。今回の三大映画祭週間では、この『フットノート』と『フィル・ザ・ヴォイド』の2本のイスラエル映画を観ることができます。が、『フィル・ザ・ヴォイド』はどうしても予定が合わずに観ることができませんでした・・・ので、この『フットノート』だけは絶対に見逃すまいと、気合を入れて参戦しました(空いてたけど)。

イスラエルと言えば、最近またパレスチナとの紛争が激化していてニュースをにぎわせています。一応停戦したようですが根本的解決には全く至っていないので、一体いつ解決するのか、イスラエルにとっても国際社会にとっても途方もなく大きな問題です。で、さらに最近たまたまちょっとイスラエル問題に興味を持って、何冊かの本を読んでみて浅~い知識をつけたので、初めてそれを意識して観るイスラエル映画ということで、勝手に色々期待しました。つまり、この映画には暗喩でいいからパレスチナ問題に触れてほしくて仕方なかった(知識が浅いときというのはそういうものです・・・よね?)のですが、この『フットノート』は、その期待にはこたえてくれませんでした。イスラエルのアシュケナジームと思しき研究者(大学教授)たちの権力闘争と、一つの家族を描いた普通の映画です。カンヌではコメディ部門でしたが、コメディとは思えませんでした。面白かったけど、それは脚本が面白かったのであって、笑うポイントは特に無かったような。

タムルード学の研究者であるエリエゼルは、長年尽くしてきた価値ある研究をライバルの意地悪によってふいにされ、その後大きな名声も得ることなく初老にさしかかっています。彼の息子ウリエルも父と同じタムルード学の研究者となりましたが、ウリエルは器用で優秀で、数々の業績を挙げ、名声をものにしています。父エリエゼルはそんな息子に嫉妬し、元々高潔で人嫌いで頑固者だった性格が一層頑なになっているように見えます。そんなある日、エリエゼルのもとに一本の電話が。なんとエリエゼルがイスラエルで最高の名誉であるイスラエル賞を受賞することになったというのです。長年地道に研究を続けてきたエリエゼルは、ついに自分の功績が認められたと小躍りし、浮かれます。しかし実はその受賞は息子であるウリエルのものであり、誤って父であるエリエゼルに電話がいってしまったと、事務局からウリエルに連絡が入ります。

前半はライバルの意地悪によって業績を無にされたエリエゼルが気の毒で、受賞できて本当によかったね、と思うし、実はその受賞が息子のものであるということがわかったときには、エリエゼルがそれを知ったらどれほど失望してしまうだろうかとハラハラしました。ウリエルが必死で父に受賞させてほしいと審査員たちに懇願する様子は、ウリエルの複雑な心境もうかがえてかなり気の毒で、ドラマとして見応えがありました。しかし後半、ウリエルの必死の懇願を知らないエリエゼルは、新聞の取材を受けた際、あろうことかウリエルの研究について「価値がない」などとボロクソにけなします。このあたりから、前半でエリエゼルに同情してきた観客の心がエリエゼルからちょっと離れていきます。

しかし私はこの後半のエリエゼルの振舞いは素晴らしかったと思います。お涙頂戴にするなら、息子の奔走を知った父が「息子よ、今まで悪かった・・・私はもう自分の名誉などいらない、お前という息子の存在が私の名誉だ。なぜ今まで気付かなかったのだろう」息子「父さん・・・!」みたいな、ここまで極端じゃなくてもなんとなくそんな流れにすれば綺麗にまとまるものを、敢えて観客の心が離れるようなキャラクターに仕立て上げたのはかなり面白いと思います。さらに、父にボロクソに言われてから、人格者であったウリエルが荒れまくって息子や妻に八つ当たりしたりするのも面白いです。終わり方も、カンヌで賞を獲ったというのが頷ける終わり方で、映画としては新鮮で良いと思いました。音楽は時々ちょっとやりすぎでしたが。

しかし、これはイスラエルでなく別の国でも作ることができる映画に思えました。登場人物は大学教授とその家族(つまりエリート層)で、描かれる世界がかなり限定されています。私が見逃しただけかもしれませんが、「これはイスラエルという国だからこういうやりとりになるのだな」というような、作られた国のことが伝わってくるような場面がありませんでした。もちろん主人公たちの研究対象であるタムルード学はユダヤ教の聖典であり、この上なく「イスラエルらしい」のですが、この映画においてこれがタムルード学でなければならなかったということはないと思います。別の研究でも全然問題なく描くことができそうです。私は、普通なかなか行けないような国のことを映画を通して少しでも知ることができることが、映画を観る楽しみのうち重要な一つと捉えているので、これがあまり満たされなかったのが残念でした。しかしたとえばヨーロッパの映画やカナダの映画にこれを同じ程度期待しているかというと、多分そんなことはないのだと思います。やっぱり、私はイスラエルを「辺境」扱いしていて、だから知りたい、もっといえば「辺境」らしさが見たい、というあさましさがあるからこういう感想を抱いたんだろうな・・・と思います。いやでもこれは、「日本では極悪非道と言う感じで報道されるイスラエル人も、普通の国民たちはこんなふうに普通なんですよ」ということを伝えているといえば伝えているのかもしれません。でもそれって伝えようとして伝えたのか、普通に作ったら伝わったのか・・・前者だとしたら困るなぁ・・・なんかよくわからなくなってきました。

で、なんだか頭の中がごちゃごちゃしつつも、しつこく、「これってもしかしてパレスチナ問題への言及?」と思った場面があったので書いておきます。エリエゼルへの妬みから研究の邪魔をし続けた審査員長がウリエルと話す場面で、エリエゼルに賞を与えることについて「本当の受賞者は君なのにエリエゼルに与えることは真実ではない」と言ったとき、ウリエルが「真実の名のもとに侵略と殺戮が繰り返された」と言い返しました。このとき私は「これはもしかして?」と思ったのですが、しかしそう解釈するのはなかなか無理があるしこじつけのようにも思えます。でもそれにしてはあのセリフは少し唐突だったような気もします。

なんか普通にただの一本の映画として見れば良かったのですが、イスラエルであることを意識しすぎてわけがわからなくなりました。でもやっぱり無視はできないよなぁ・・・とりあえず今読んでるサラ・ロイの『ホロコーストからガザへ』(青土社・2009年)がすごく刺激的なので早く読了したいです。あとアモス・ギタイの映画とかもっと観てみよう。

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