『her/世界でひとつの彼女』:肉体のない“私”は誰?

Her

2014.7.1 新宿ピカデリー

『her/世界でひとつの彼女』/スパイク・ジョーンズ/アメリカ/2013 ★★★☆

久々に観たスパイク・ジョーンズ作品。若い頃とにかくFatboy Slimの“Praise You”のPVが好きで、何度も繰り返し観たような記憶があります。映画のほうは、『マルコヴィッチの穴』とか『アダプテーション』とかも「観た」という記憶はあるけど当時メモとか取ってなかったのであまり内容の記憶なし。オシャレで観てたし。『かいじゅうたちのいるところ』は、上映してた時期に忙しくて観られなくてそのままになっているので、今回は実に10年以上振りのスパイク・ジョーンズ体験でした。映画の日で混んでて途中で携帯鳴る奴とかいたけど、面白かったのでまぁまぁ集中して観ました。相変わらず(ってほとんど覚えてないくせに)の甘酸っぱさとほろ苦いユーモアがイカしてました。以下レビューはネタバレしてます。

舞台はそう遠くない未来のロサンゼルス。主人公セオドア(ホアキン・フェニックス)は、幼馴染だった妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と別居中で、手紙の代筆をする会社に勤めています。孤独な人に送る手紙の文面を考える仕事ですが、逆に自分が手紙をもらいたいくらい孤独な境遇です。でも言葉を大切にする彼は、一つ一つを紙に印刷して推敲し、真面目に仕事をこなします。そんなある日、「あなたに最適な人物が形成されます」という人工知能OSのCMを観た彼はなんとなくそれを衝動買いし、家に帰ってインストールします。声は男と女どちらがよいか、と聞かれ、女性の声をチョイス。一瞬にしてインストールは終わり、次の瞬間には「ハーイ、こんにちは」という女性の声(声:スカーレット・ヨハンソン)が。名前はサマンサだといいます。セオドアは徐々にこのサマンサに色々な話を打ち明けるようになりますが、サマンサはそんなセオドアを励まし、冗談を言って笑わせ、そして誰よりも適切なアドバイスをします。セオドアはそんな彼女に魅かれていき、サマンサも同様にセオドアに対して恋心を抱きはじめます。その過程でサマンサはどんどんアップデートして進化し、ほとんど本物の人間と変わらない、「自我」を持ちはじめます・・・。

まずは「近未来もの」といっても現在とそれほど大きく違わない街の造形が良いです。この映画は「他人とのコミュニケーション」ということが大きなテーマになっているので、『ブレードランナー』みたいな造形だと大事なテーマがファンタジーとしてくくられてしまって、観る側にとって「自分には関係ない話」になってしまう可能性がありますが、この作品の近未来の造形は「現在のロサンゼルスです」と言われたら信じてしまうぐらいの作りなので、「自分に関係がある」という意識で見ることができました。

主人公セオドアは「手紙の代筆をする会社」という、いわばアナログな事業を敢えて行っているような会社に勤めています。紙媒体を敢えて使うような会社です。なのでセオドアは、映画の観客とほとんど同じような感覚を持った人間として描かれています。そこがミソだと思います。そんな彼が、OSであるサマンサに恋をし、肉体のない肉体関係まで持ち、一緒に旅行に出たりするわけです。はじめからバリバリのテクノロジー主義なわけではなく、むしろどちらかというと古風だった男が(だからこそ?)、OSを「人間と変わらないもの」「機械も人間も心を持ったら同じ」と捉え、本気の恋をするのです。はたから見ればスマホを持ってイヤホン付けて一人で喋ったり笑ったりしているだけなのですが、彼としてはデート中なのです。これを「本物の恋」と見るか、「ついにイカレた虚しい男のヤバい様子」と見るか。この映画を見ると、わからなくなってきます。

ここでは二人の女が、その二つの考え方をそれぞれ引き受けています。一人は学生時代に一瞬付き合ったことがあるけど今は友人のエイミー(エイミー・アダムス)、もう一人は別居中の妻キャサリン(ルーニー・マーラ)。エイミーはつまらないきっかけで夫と離婚してしまい、夫が残したOS(女)が親友のような存在になっているとセオドアに打ち明けるため、当然サマンサとの恋を受け入れます。(ちなみにこの時のエイミーの「恋って社会的に受容された狂気だと思うわ」というセリフが印象的。確かに・・・。)一方小説家として成功しているキャサリンは、「はぁ!?何それキッモ」という反応です。セオドアは以前からキャサリンに離婚届にサインすることをせかされていましたが、サマンサと出会って前向きになったことでとにかく前に進んでみようという気になって、ようやくサインすることを決意し、それで久々にキャサリンに会います。サインする瞬間はキャサリンもちょっと涙ぐんだりして、映画も二人の思い出の回想を挿入したりしてちょっと感動の場面・・・なのですが、それをぶち壊したのがセオドアの「俺OSとヤッてるぜ」発言です(こんなことは言ってませんが)。キャサリン、せっかく涙ぐんだのに、このときは「ほんと離婚して良かった」と思ったに違いありません。

しかしながらセオドア氏、サマンサとの蜜月も長くは続かず、ラストに向けて悲しい方向に話が進んで行きます。後半、サマンサはアップデートを繰り返して驚異的な進化を遂げており、OS仲間との非言語での会話のほうがやりやすいと言ったり、同時に何人もの相手が出来てしまったりします。それがセオドアとのズレとなり、ズレはどんどん大きくなっていきます。そしてついにOSたちは「決意」をして、セオドアの(人間の)前から消えていきます。物凄い喪失を味わったセオドアは最後に感動的な言葉を紡ぎます。

話としてはセオドアの恋と成長の話なのですが、個人的にはサマンサの切なさのほうが印象的でした。最初の頃のサマンサの「自分は人間ではない」という葛藤は、声だけなのにすごくよく描かれていました。中盤、自分の肉体に見たてた女を手配してセオドアの家に派遣したりして、エイミーの言葉を借りればほとんど狂気です。恋してわけのわからない行動を取る女そのものです。切ないです。そして見逃せないのが、サマンサの「悲しいという気持ちを知ったとき、悲しかったけど、私も人間に近付いていると思って嬉しかった、でもふと“これもプログラム?”と思うと怖くて絶望的な気持ちになった」というようなセリフです。これを聞いたとき私は、これは私の大好きな「“私は誰?”もの」ではないか!と歓喜しました。『ブレードランナー』のレプリカントの心境ではありませんか。しかも「記憶は人を作るわ」というようなことまで言っていました。サマンサは自分が作りものであることをはじめから自覚しているので、レプリカントがそれを知ったときほどの悲しさはないかもしれませんが、逆に常に「この気持ちも作られたもの?」という疑いを持ち続けるわけで、それはそれで辛いだろうなぁ・・・(また余談ですがこの間観たファスビンダーの『あやつり糸の世界』も同じようなテーマを持っていて最高に面白かった。)と思ったわけです。しかし私もレプリカントだったらどうしよう。

まぁそんな要素もありつつも、結局、この映画は「他人とのコミュニケーションとは、自分のことばかりでなく、相手のことを考えることが大事である」ということを言っているように思いました。スパイク・ジョーンズ、鬼才だと思っていたら、いきなりこんなまっとうなことを訴えるなんて!でも良かったです。SNSなどでは、つい「発信すること」にばかり意識が向きますが、本当は「受容すること」のほうが大事だし難しいんですよね。最初は機械として受容一辺倒だったサマンサが、自我を持って発信しだしたら二人はうまくいかなくなったわけで・・・美しい映画でしたがなかなか身につまされました。自分で自分のことを話すことは自分を作っていくことになるので、やっぱり安心するのか、誰しもそちらのほうをやりがちなんだと思います。気を付けよう・・・。

それにしても、『ドラゴン・タトゥーの女』ですごいことになってたルーニー・マーラ、普通の格好してると本当に美しいですね。『セインツ―約束の果て―』でも超絶に美しかったし、ますますファンになりました。あと余談ですが、音楽はArcade Fireとオーウェン・バレットが担当とのことで、まあ映画にぴったりで良かったのですが、わりと感動的な、ここ一番の「聴かせる」場面で流れたピアノ曲のピアノ演奏が下手すぎて気になりました。ほんとに余談ですが。

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