『私の男』:意味深“風”なセリフと演出のオンパレード

watashinootoko

2014.6.14 新宿ピカデリー

私の男』/熊切和嘉/日本/2014 ★★

本編より予告編のほうが断然良いです。予告編での二階堂ふみの鬼気迫る演技を観て期待しつつ、なんとなく苦手なタイプの映画かも、とは思いました。でもやっぱりあの二階堂ふみの演技観たさで映画館に足を運んだわけですが・・・

やっぱり苦手なタイプの映画でした。

幼い頃に地震によって家族全員を失い、一人になってしまった少女、花(山田望叶)。避難所でそんな花を見つけた25歳の淳悟(浅野忠信)は「家族を作りたい」といって花を引き取り、育てることにします。その時、淳悟が破綻した家庭で育ったことを知っている地元の名士・大塩(藤竜也)は、「あんたに家庭は作れんよ」と言って一度反対しますが、結局は淳悟の熱意に押されます。そして十数年後、高校生になった花は淳悟という「父」と「うまく」やっており、淳悟は恋人である小町(河井青葉)ではなく花にイヤリングをプレゼントするなどします。そして・・・衝撃の事件、衝撃の事実が!

というあらすじですが、この「衝撃の事件と衝撃の事実」というのが本当に不快でした。別にこの映画のテーマである禁断の愛におぞましさを感じて、それゆえ不快と言っているのではありません。この映画の、「不幸と衝撃と狂気」でひたすら押してきて、それを「芸術」とでも言いたげなスタンスが不快なのです。例えば本篇中に溢れた意味ありげで意味のないセリフ。そして淳悟と花が抱き合う場面で急に降り注ぎはじめる大量の血。あれは一体?「衝撃の事実」を示唆するにはあまりに直接的ながら、実は何の表現にもなっていない。ただアート風なだけ。あの瞬間一気に白けました。

あと、説明されないことがあまりに多すぎる。映画において「説明しない」場合には、あえて説明しなくても演出によってわかるようにする必要があると思います。この映画にはストーリーの大事な部分でそれがなくて、「え、なんで?」がいくつも頭に浮かんでしまって映画に入り込めませんでした。もちろん原作には描かれているんでしょうが、私は読まずに観たからわからないし、原作があるからといっても映画は映画単体で成り立たなければならないと思います。

でもこの映画を好きになれなかった最大の要因は、ヒロインである花が何を考えているか全然わからないからだと思います。何を考えているかわからない、サイコパスめいた女がヒロインの「愛の物語」なんて全然意味わかりません。淳悟のほうがよっぽどわかりますが、でも行動がイタすぎてやっぱり「愛なのね・・・」とは思えません。尾崎(高良健吾)が出てきた場面なんて本当に尾崎が気の毒で、「き、気の毒!」以外の感想がありませんでした。でも無駄に高良君の裸の上半身を拝めたことは思ってもみない収穫でした。

花に話を戻します。花と尾崎は同じ会社で(花は派遣)、2対2の合コンをしますが、残りの二人はちゃっかりカップルっぽくなっていて、花は「私も尾崎さんもダシだったんですよね」と尾崎に言います。返答に困る尾崎に、花の一言。「結局、人ってみんなそういうふうにバラバラに生きてるんですよね・・・。」・・・ハア!?一体何を言っているのですか?これ、うろ覚えではありますがこういう意味不明な発言であったことは間違いありません。映画を観る限りはもう一人の女と花が腹心の友だとかそういうわけでも絶対ないし、仮に腹心の友だとしても、この発言はチグハグでわけわかりません。こういう「意味深風」の言葉を吐く奴に限って実際には中身スッカラカンであることがほとんどだと思うのですが、これって花を中身スッカラカンに描きたかったわけでは絶対ないですよね。むしろ「心に傷を抱えて変わった環境で育った普通じゃない女の子」とかそのあたりを狙ったのではと思いますが、これじゃ普通も普通、ただのイタい女ですよ。脚本これで良かったのでしょうか。

結局、この映画で良かったのは予告編に出てくる場面が全てでした。予告編は本当に良かった。凍てつく海に浮かぶ一面の流氷と、二階堂ふみのあの演技。あれは素晴らしかった。何度でも観たい。予告編は。

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