『ヴィオレッタ』:イタい女を見つめる

mylittleprincess

2014.5.18 シアター・イメージフォーラム

『ヴィオレッタ』/エヴァ・イオネスコ/フランス/2011 ★★★☆

予告編を何回か観て「しょーもなさそうな映画だなー」と思っていたのですが、なんとなく時間と場所がちょうどよかったので鑑賞。結果、期待値が低かっただけに意外と楽しめました。

単純に言えば、見た目華やかな「母娘もの」です。芸術家のアンナは画家を目指していましたが才能がなく諦め、芸術家仲間から貰ったカメラで写真家を目指しはじめます。その時に格好の被写体となったのが、10歳の美しい娘ヴィオレッタ。ヴィオレッタは、普段飲み歩いて留守がちの母の被写体となることで、母との時間を持てることに喜びを感じます。しかしその写真の出来が芸術家仲間に認められると、母のヴィオレッタへの要求が徐々にエスカレートしていきます。元々官能的なポーズや挑発的な顔つきをさせられていましたが、遂には下着もはずした状態で、男性と絡んだポーズを要求するなどし、さすがにヴィオレッタは反発します。そのあたりから母娘の仲には暗雲がたちこめはじめます・・・。

これはエヴァ・イオネスコ監督自身の実体験を映画化したものだそうで、「Eva Ionesco」でググると確かに少女のかなりきわどい写真が出てきます。少女期のこんな体験がその後の人格形成や人生に影響を及ぼさないはずはなく、監督にとってこの作品はどうしても作る必要があったということだと思います。

で、映画の感想ですが、まずこの母アンナ(イザベル・ユペール)のイタさが素晴らしいです。もう本当にイタいです。平凡であることを嫌い、「私は芸術家よ」という、ほとんど中身のカラッポなアイデンティティを無理矢理作ってなんとか生きている女です。中二病がそのまま大人になった感じです。画家の才能がなかった時点で気付けば良いものを、でも自分が芸術家でないなんて許されない、なんとかして芸術家であらなければ、という女です。このイタさを、さすがの大女優イザベル・ユペールが、「本当は自信も余裕もない」というところまでを見事に表現しています。

美少女ヴィオレッタは、だんだんこの母が「芸術家としての自分を保つために自分を利用している」と思い(気付き)はじめます。そこから反発が始まるわけですが、面白いのは、母の要求を拒絶した後でも、このモデルとしての体験から目覚めてしまった女としての自我は、とどまることなく増幅していくところです。小学校の教室で、教師から「帰り道で見て触れたものについての作文を書きましょう」という宿題を出されて、他の子が木や草に触れる中、ヴィオレッタは高校生ぐらいの男子について行き、誘惑します。ここでは、ヴィオレッタがもう普通の子に戻ることなど決してできないということが描かれています。

ところで、母アンナがなぜあそこまで芸術家であることにこだわったのかが、ラスト近くで明かされます。平凡さを嫌うというよりは、実は、非凡な、非凡というよりは悲惨な出生の秘密を、「私の出生は普通でない、普通でないことは芸術的なことである」という風に解釈し直して、「だから私は悲惨な女ではない、芸術的な女である」と、無理矢理転化してなんとか自分を保ってきたのだということがわかります。それが明かされた上でのラストはちょっと『大人は判ってくれない』っぽくて、まさか「ヴィオレッタもの」なんてことにはならないと思いますが、なかなか余韻の残るラストでした。

グダグダ書きましたが、まとめると「目を楽しませてくれる映画」でした。特にヴィオレッタを演じたアナマリア・ヴァルトロメイの超絶な可愛さは、それだけでも2時間楽しめます。母が好んだゴシック風の衣装や調度品なども、映画の雰囲気を作っています。しかし演出や人物描写には特別目新しいものはなく、サラッと観れてしまう感じです。あ、でも音楽の使い方は印象的でした。品が良く美しい、でも少し不気味さも含んだような室内楽的音楽は70年代のフランス映画みたいで良かったです。

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