リアリティのダンス

realityofdance

2014.4.22 ヤクルトホール(ホドロフスキー監督講演&『リアリティのダンス』プレミア上映会)

『リアリティのダンス』/アレハンドロ・ホドロフスキー/チリ・フランス/2013 ★★★

泣く子も黙るカルトの帝王アレハンドロ・ホドロフスキーの24年振りの新作。『エル・トポ』(1969)、『ホーリー・マウンテン』(1975)の2作は若かりし頃に観て「わ、わけわからん」と思ったにも関わらず「サイコーだった」と吹聴して回ったことを数年後に思い返して顔から火が出るほど恥ずかしくなったトラウマがありますが、でもやっぱり気になって、しかも監督本人の講演付きということで観に行きました。できれば原作を読んでから参戦したかったのですが、時間がなくて断念しました。なので映画も原作を読んでいない状態で観ました。

自伝的作品ということで、ホドロフスキー少年とその両親の、家族の物語です。両親はウクライナからチリに移住してきたユダヤ人で、ウクライナ商会という店をやっていて裕福です。ホドロフスキー少年には映画のはじめと終わりで大した変化がありません。年齢もほとんど変わらないし、精神的にもたいして変わりません。むしろこの映画の構造は、少年の目から観たあの時代、という感じになっていて、おそらくホドロフスキー少年の記憶に鮮烈に残っている実際のエピソードと、少年の目にうつっていた虚構とも現実ともつかないような世界を、85歳のホドロフスキーが再構築した映画です。なので少年はほとんど狂言回しの役割に近くて、むしろ激しく動き回るのは父親です。特に父親が政治的目的のために家族から離れてからは、もっぱら父親の冒険譚の様相を呈してきて面白いです。

ストーリーは昔と比べると随分わかりやすくなっていて、ホドロフスキー版『アマルコルド』とか『田園に死す』という印象でした(しかし『アマルコルド』は10年以上前に一度観たきりなので本当に近いものがあるのか怪しい、けど似てるはず、たぶん)。不具者のモチーフとかボカシが必要なオゲレツ場面とか(劇場公開時はボカシ入るはず)十字架とかは相変わらずなのですが、映画全体の持つ雰囲気がとても優しいです。映像はキツめだけど、優しいのです。それはおそらく老ホドロフスキーの子ども時代への懐古でもあるし、家族についての映画を実際の家族と一緒に撮ることのできる今の境遇ゆえのものでもあると思います。

CG時代になったことを100%活かして撮られた悪夢的だったりファンタスティックだったりする映像は観ていて楽しいしポップで、ウェス・アンダーソンっぽさもあります。あと随所に挿入されるバラバラのエピソード(たとえば、山を越えて町へ移動してきた貧しい民族の話とか、スラムでの出来事、クラスメートの死など)がどれもキラキラ輝いていていちいち興味深く、印象に残ります。後者については自伝的映画ならではという感じがします。

しかしながら、サーカス団とか不具者とか大デブ女とか、登場するモチーフがフェリーニと寺山修司のそれぞれの自伝的作品(どちらも70年代)と実に似ていて、見せ方含め既視感がかなりあり、ホドロフスキーのこの2014年の新作において、少なくとも前衛性に驚かされることは全くありませんでした。むしろ「もうアタシこういうのはちょっと観飽きたんだよね」ぐらいの感じでした。

この映画で一番動き回って面白いのは父親ですが、母親も大活躍します。しかし、母親だけなぜか全てのセリフがオペラ調の歌で、初めは面白かったけどだんだんうっとおしくなってきたし、母親の語る宗教的な話がピンと来ないのでちょっとしんどかった(ここにピンとくることができていたら、映画全体への印象も評価もだいぶ変わったかも)。この映画でほとんど神のごとく正しい存在は母親なので、セリフが全て歌であることには大きな意味があるのだとは思いますが、私にとっては意味よりもしんどさが勝ってしまいました。あとあのオゲレツ場面も、まぁ必要性はあったと思いますが、やっぱり「もうアタシこういうのはちょっと・・・」と思ってしまいました。全体に、ちょっと戯画化に過ぎたという印象です。好みの問題だとは思いますが。

でも、きっと監督には自伝的映画を撮る必要があったんだと思います。自分の過去を語ることは、自分の過去を作ることと同じことで、自分というのはその積み重ねで成り立っているものだと寺山修司が言っていて、私も(影響されてか)そう思います。人間誰しもそうだと思います。なので、この映画自体は正直それほど凄い映画だとは思いませんでしたが、それを撮ることを監督自身が一人の人間として必要とした、ということで、全部納得させられてしまうようなところがありました。特にトークショーでの監督の言葉や立ち居振る舞いが素晴らしかったのでなおさらそう思ってしまいます。

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トークショーでは「人間は宇宙だ」といったような哲学的な話を熱く語り、その後の人間タロット占いではユーモア爆発で、なんて素敵なおじいさんなんだろうと思いました。白髪・白髭・白スーツ。かっこよすぎました。画像はiPhoneで撮ったためこの画質・・・。撮影およびネット上への掲載ご自由に、というスタンスだったので、あらかじめわかっていたらちゃんとしたカメラを持参したのに・・・!いや、でもデジいち持って仕事行って定時上がりする勇気はないので、わかっていても持っていかなかったかな。

それにしても客層が若かった。『エル・トポ』世代の人が多いのかと思っていたら、20代っぽい人が多かった。あとヤクルトホールはホールなのにトイレの数が少なかった。男女比が半々ぐらいだったので女子トイレはしっかり混んだ。女子の多さにも驚きました。

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リアリティのダンス」への2件のフィードバック

  1. くつしたさん、こんにちは。

    昨日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁を
    いつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。

    『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』の2作を「若かりし頃に観て」って、
    お幾つでいらっしゃいましたっけ? ’84年生れなら、今現在お若いですが(笑)。
    それはともかく、
    拙日誌に「フェリーニ、寺山、アンゲロプロス亡き今なお、こういうイメージの豊かな喚起力で己が心象を語ることのできる作り手がいることを現認できる喜びというものがじんわりと湧いてきた。この得も言われぬニンマリ感を味わえるのは、おそらくこの3人ほかの巨匠の映画を若き日にスクリーンで観た今の僕より上の世代に属する映画愛好家の特権ではないかとも思えて、ますます愉悦が広がってきた」
    などと書いてしまい、くつしたさんじゃありませんが、
    「思い返して顔から火が出るほど恥ずかしく」なる思いで反省しております。
    東京では、むしろ「20代っぽい人が多」く「女子の多さにも驚」く状態だったのですね。
    でもって、
    ウェス・アンダーソンがくるとこが我々の世代差ですね。なるほど!と思いました。

    宗教的な話を語り、歌で話す母親については、現実離れした本作の登場人物たちのなかでも
    とりわけナルシスティックに現実離れした人物だとアレハンドロ少年が観ていた存在
    というふうに僕は受け止めてました。

    あと「あのオゲレツ場面」というのは、拙日誌の最後に言及してある場面のことですよね?
    いやぁ、なかなか強烈でした(笑)。

    どうもありがとうございました。

  2. ヤマ様
    コメントありがとうございます。私こそ、ヤマ様のこの映画についての記事は随分前に拝見し、「フェリーニ、寺山、アンゲロプロス亡き今なお、こういうイメージの豊かな喚起力で~」の箇所で、自分がいかに狭量な見方をしてしまったかを思い知りました。結局、「新しさは特に感じられなかった」というのは、20歳くらいで観た当時「こういうわけのわからないものこそがカッコイイし、こういうものを好んでこそ映画通なのだ!」と大勘違いをしていた自分への嫌悪感から逃れられなかっただけの話なのかもしれません・・・というか、「もう私はそういう価値観からは解放されたんだぜ!」と思いたかったのかもしれません(苦笑)。いい歳して、お恥ずかしい限りです。それにしても、先行上映で観てしまったため、封切られたときには観に行かなかったのですが、ヤマ様の記事と下さったコメントを再び読み返して、もう一度観たいな、と思います。母のセリフがなぜ全て歌なのか、現実離れした母親であるとアレハンドロ少年が見ていた、とのご意見、なるほどと思いました。そしてオゲレツ場面は、まさにあの場面です(笑)。淑女を気どる気もありませんし、ホドロフスキーなら全然意外でもないのですが、強烈でした(笑)。

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